「NPOで働く人々」【番外編】
 

 

竹内周作は、宮崎大学4年の時、宮崎県ボランティア協会主催の
NPOセミナーの事務局を任された。

 講師の世古さんに「ボコボコにされた」と回りは思っていたが、
本人は、深く感動し、卒業後、九州一周NPOの旅に出た。

 旅の終わりの頃、「NPOみやざき」のスタッフ募集の話を聞いた。
宮崎でボランティアに関わる仕事がしたい!と思っていたので応募した。
(たぶん)面接で落とされた。
本人は、「今でも納得できない」と思っている。

 長崎県のNPO法人で求職が出た。 老舗の中間支援団体だった。
今度は採用された。

                          

   竹内周作は、ボランティア団体同士の連絡が取れる
「場」をつくりたかった。自分でイベントを企画したかった。

 そのNPO法人は、「会長の思い」で動いていた。
会長が引き受けた仕事が、有給スタッフにおりてくる。
その処理に追われた。

 それでも、時間をつくり、イベントを企画しようとした。
勝手に動くな。長崎には、長崎のやり方があると言われた。

 務め始めて1年になる頃、岡山にいる父親が病気になった。
九州での就職を、ずっと反対していた。
やめるキッカケができたと思った。

 岡山に帰った。中学校の臨時教員をした。
子どもが好きだった。ボランティアをする時間はなかった。
未練があった。
自分の生き方が、これで良いのかと思った。

  「ボランティア365」に応募した。
月4万5千円〜6万円の生活費だけもらえる
1年間の住み込みボランティアだ。

 文部科学省所管の社団法人の事業で、
43名の同期生が、全国の社会福祉施設や
NPO法人で働いた。

竹内周作は、兵庫県の児童養護施設に行った。
本当に最低限の生活費だった。
いろんな人に会い、「生きること」について
いろんなことを考えた。

 1年間ボラをしながら、就職も探した。
教員試験は落ちたが、兵庫県の社会福祉法人で募集が出た。

 今は、神戸で働いている。
もう少し余裕ができたら、パソコンを買って、
宮崎にも遊びに行きたいと思っている。

 宮崎で、大学の卒業記念に実施したイベントがある。
「糸から布へ」がテーマのボランティア団体の活動報告会である。

 第1回で終わっていることが、残念だ。
きっかけをくれた「ピュアルーム*」も、今はない。
(*宮崎市若草通近くにあったボランティアセンター)

 ボランティア団体を集めて「組織をつくる」より、
ボランティアの糸を紡いで、布に織る「場をつくる」
ことが大事だと、竹内周作は、今も語る。
   

                               (取材:「街・元気」事務局S)

                                        

 

   
   
 
 
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