街が元気だネット!
   
   
NPOレポート
 
 

                                                                                                                         


宮崎NPO事業@ 「夜明け前」

 「宮崎でNPOをしっちょる人は、何人おるやろか〜」

 
平成10年2月 NPO法が施行される前のある晩、名古屋の中華風居酒屋に3人の宮崎人がいた。
NPOの講座を夢見る専門学校の講師、イギリスのチャリティ制度が忘れられない民間人、
NPO担当の公務員。当時は、大都市か三重県でしか開催されなかったNPOのセミナーに
宮崎県から、県の担当者以外の人が参加した初めての夜だった。
 
「宮崎をNPO不毛の地にしたくない!」

 「元気なNPOになる本」は、国もシーズ(中間支援NPO)も出さなかったフロッピー付のマニュアル本。
  http://www.mkensha.or.jp/shakyo/fukushi/tosho/fukushi.html#to12

この本のネタは、県の担当者が、毎週土日に出勤してつくった。
税金で出張できる県職員が、思いっきりフライングして、ひとり中間支援団体になるしかない。
そう思い込んでいた。

   「このままでは、宮崎はNPO不毛の地になります!!」  

  出勤したばかりの係長が、席に着くのを待ちきれずに言った。

 新しいNPO条例をPRする予算で、ありきたりのパンフレットをつくるより
宮崎県にいいNPOが10団体できる方が、よほど普及啓発になる。
そんな団体が、手続きに手間取らないようフロッピー付のマニュアル本をつくりましょう。

 係長は、あっさり言った。
俺は、県社会福祉協議会で本を作った経験がある。
県ではマニュアル本はつくれないが、県社協と一緒ならできる。

 公務員にとって、前例のない仕事はきつい。まして、国もつくらないマニュアル。
そんな時、頭に浮かんだのは、法人格がないために苦労している宮崎のNPOだった。

 障害者の親は、子どもを残して死ねない。


       

子どもたちが生活していける事業

を、NPO法人で運営すれば、
親が死んでも事業が残る。

 実際、県外では、大規模な配食サービスを展開していた団体が、
代表者の死亡により、遺産問題が出てきて、崩壊した事例があるらしい。

 今、宮崎には、すばらしい活動をしているNPOがいくつもある。
そんな「宮崎NPO事情」を紹介していきたい。

 (街が元気だネット事務局)

 ※実は、名古屋の中華風居酒屋にいた3人のうち2人が、
   今は、「街が元気だネット!」事務局にいます。

  ◎ちょっと新撰組がかってしまいました。 (゜゜)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   
 
 
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